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四季をいつくしむ心が受け継ぐ、金沢の美学
金沢伝統工芸いまむかし 百万石の嗜みが育てた工芸 日本において伝統工芸が盛んな地域にはいくつかの共通点があります。ひとつには藩政時代にその地域を治めた大名が工芸振興に深く関わっていること、また多くの工芸品を用いる茶の湯が盛んであること。金沢はその条件を見事に備え、工芸大国としての名声を誇っています。加賀百万石の祖、前田利家は、織田信長の影響を受けて茶の湯の世界への理解を深めました。利家は、天正十五年(一五八七)、天下統一を目前にした豊臣秀吉が開いた「北野大茶会」で秀吉の右座に座り、茶会の実務に当たったとされます。 三代利常は小堀遠州から茶の湯を通じた文化的な薫陶を受け、寛永十九年(一六四二)には裏千家の始祖・千宗室を茶具奉行として召し抱えます。工芸品の収集、茶の湯の指導、美術工芸の振興など、利常の文化施策は遠州ら茶人に負うところが多いとされます。 根っからの茶人であった五代綱紀は、武士はもとより御用職人や家柄町人にもお茶の作法を身につけるよう命じています。城下で茶の湯が盛んになるにつれ、茶席に用いる道具を含めて優れた工芸品の育成が推し進められました。 数々の伝統工芸を生み出す源流となった金沢独自の茶道文化は、今もこの地に息づいており、市内に点在する茶室では、折々に風雅な茶会が開かれています。 Vol.2(平成15年9月 発行)
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