金沢漆器の歴史は、三代藩主前田利常が京都から蒔絵の名工五十嵐道甫を招いたことに始まります。茶の湯にも通じていた道甫は細工所において細工人の指導にあたるとともに、前田家の調度品を製作して、京の貴族文化の優美さに力強い武家文化を加えた加賀蒔絵の礎を築きました。金沢漆器は茶の湯の文化とともに栄えつつ、現在も茶道具を中心に日常の食器や調度品として、使い手のこころを魅了しています。
加賀蒔絵の華麗で重厚な存在感が際立つ金沢漆器ですが、生活に密着した道具として使ってほしいとの想いから、こと茶道具に関しては使い勝手の良さに最大の配慮がなされます。職人は茶事の時季、場所、出席者、あるいは茶棚の高さにまで配慮して、ふさわしい寸法、色彩、図柄の茶道具を創りあげます。そのためには緻密な加飾の技術に加え、茶の湯文化に関する深い造詣が求められます。
棗の蓋を開けたときに優美な蒔絵が現れる、小さな喜び。秋の茶会にふさわしい、モチーフの組み合わせ。図案ひとつをとっても、金沢漆器には、知的な遊び心が見え隠れします。
コラム |
加賀蒔絵道具 |
繊細な蒔絵の線を引く蒔絵筆には、鼠の毛が最適とされます。琵琶湖周辺の湿地にすむクマネズミの毛が最高とされていましたが、近年その数が減り、鼠の毛を使った筆は貴重なものとなっています。そのほか、蒔絵職人は鯛の牙、狸の毛、猫の毛、馬の毛など素材と形状が異なる極細の筆を巧みに使い分け、ある時は極細の線を描き、ある時は輪郭の中を塗り込み、またある時は緩急自在の描写を行います。 |
村田
百川 氏●むらた ひゃくせん |
富山県出身。時代の先端を行く企業に勤めつつも、伝統工芸に心惹かれ漆芸を学ぶ。昭和四十五年村田家に入り、本格的に漆芸に取り組む。五十年、裏千家井口海千宗匠より百川の号を賜る。三十五歳で金沢美術工芸大学の聴講生となり大場松魚氏に学ぶなど、常に学び続ける気概が品格のある蒔絵を生む。金沢市工芸協会展などで受賞多数。
「花、木、庭、茶事、すべてが学びの源泉」という。 |
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