明治・大正期、九谷焼は殖産興業の波に乗り、産業九谷として黄金時代を築き上げました。武者絵、芸者、富士山、農耕の図などをモチーフに、日本の文化風土を金彩を交えて鮮やかに表現した九谷の上絵は、欧米人の求める東洋趣味に合致、数多くの作品が貿易商人の手により海を越えました。九谷の輸出高は明治10年頃から爆発的に増加し、明治20年には日本の陶磁器貿易の第1位となりました。
特に金沢九谷の精緻な色絵技術は海外で開催された博覧会において、比類なきものとして高い評価を受けます。明治20年を境に内需転換が図られるようになってからは、第九師団関係などで金沢を訪れる人々を対象に新たな販路を見出します。
この時代に色絵技術がめざましい発達を遂げた背景には、金沢町区開拓所(明治5年 明治11年に石川県勧業試験場と改称)や金沢工業学校(明治20年)の設置など、官民一体となったバックアップがありました。平成の現在、金沢市と金沢九谷振興協同組合の手によって、金沢九谷独特の色絵世界を復興させる試みがなされています。
平成12年より金沢九谷の色絵技術を受け継ぐ職人の育成を目的に、金沢九谷色絵専門塾が開講されています。平成15年4月には一期生6人が卒塾、色絵師としての第一歩を踏み出しました。約3年間にわたって研鑽を重ねてきた卒業生たちの筆が描き出すのは、先人のゆるぎない技術を継承しつつも、現代的な感覚とそれぞれの金沢九谷に対する“想い”を盛り込んだ図案。暮らしに取り入れやすい、新しい金沢九谷の息吹が感じられます。 |
金沢九谷黄金期を彩った色絵の美
明治・大正にかけて数多くの上絵の技法や画風が開発され、金沢九谷は九谷焼の優品の代名詞となった。その重厚でありながら華やかさを失わない精緻な描写に見る者は息を呑む。
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飾瓶
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急須 |
瓶 |
杯
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菓子器
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小紋手 |
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