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金沢箔は藩祖前田利家が名護屋の陣中から七尾の工人に箔の製造を命じている文書が残っていることから、利家が金沢に入城する前から箔の職人を七尾に連れてきていたことがわかっています。
江戸時代、幕府は元禄9年(1696年)に箔製造の統制管理を行うなど、金銀の取締りを厳しく行いました。このため、箔の製造に関しては、金箔は江戸、銀箔は京都の箔屋以外には許可されませんでした。
しかし、金沢では純度を落とすなどして密かに箔打ちが続けられていました。 明治時代にはいり、金沢箔も一時は絶滅の危機に貧しましたが、江戸での金箔作りが完全に途絶えたことと、金沢の箔打ち技術の高さや金沢の気候や水質の良さなどが全国に認められ、金沢箔の基礎が確立していきました。
以降、三浦彦太郎の創案により、箔打機が完成。金沢は金箔産地として急速な発展を遂げました。
現在では全国生産高のうち金箔は98%以上、銀箔・洋箔においては100%が金沢産のものとなっています。 金沢箔は3つの特性「酸化されない、変色しない、腐食しない」を活かし、仏壇や金屏風、西陣織、漆器、建築物の内装、エクステリアなど、多くの工芸品や美術品などに今や欠くことのできない資材として広く活用されています。
又、石川県箔商工業協同組合では、有識者による各種の金沢箔フォーラムを開催し「箔の街・金沢」として、金箔で金沢を魅力ある街に創造する運動を展開しています。
石川県箔商工業協同組合 電話076-257-5572
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