ブックタイトルステキ Vol.18
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ステキ Vol.18
鮮やかな色文化を受け継ぐ金沢九谷(1655?57年)に加賀国九谷村華麗で斬新な金沢九谷の源流で始まった、華麗な色使いと斬新な絵に根付いて残っており、そのことが街の五十余年で忽然と姿を消し、約百年のしつらいとして「飾る」ことで建築文化間、加賀の地から窯の炎が途絶えます。き、卯辰山に藩営の春日山窯を開いたことによります。と結びつき、器として「使う」ことで食文だといえるでしょう。谷」と呼ばれるこの焼き物は、開窯から京都の名工、青木木米を技術者として招文化・芸術の水準を押し上げています。柄を特徴とする磁器にありま化を支えてきた金沢九谷は金4(沢城下で九谷焼が再興したのは文化金沢には今も多彩な伝統工芸が生活金沢九谷の源流は、明暦年間日々の装い、その代表格古九家が1807)年のこと。加賀藩前田す。「絵茶堂龍黒)山民田武/窯山民(器民山窯を開いた加賀藩士・武田秀平(陶号:民山)の作。いかにも武家好みの引き締まった形で、小品ながら高い品格を感じさせます。民山窯が得意とした赤絵細描は、後の飯田屋八郎右衛門(八郎手・飯田屋)の先駆となりました。多芸に秀でた民山は「夕月」の彫号で、成巽閣「謁見の間」の欄間の彫刻も手がけています。suteki6